真実はないということ-マルチステークホルダーを考えていく上で大切なこと(国際交渉人の知恵から)−

この世界には、真実はないということ。

自分の信じていることは真実だと思っている場合は間違いです。

あなたの中にある志も信じ込まされているものです。

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でも、この思い込みがないと物事は進まないということは間違いなく言える。

最近、物語というもののパワーについて何回も触れているが、今日はこの物語でもなんかでも何かをを信じ込むということについてです。

トビタテの事前研修でもゲストとして登壇して頂いた島田久仁彦さんとい方がいて、この人は「国際ネゴシエーター」職をしている。最近、このような交渉をしている方の発言とかを聞いていると、交渉という舞台でプロフェッショナルを極めている人の話が人間のそれぞれの内に持つ「物語」の話によく結びついてくるなと思うに至った。

人がそれぞれの共同体の中で共有する価値観があり、その価値観が代々語り継がれてきた虚像の物語によって繋がりを持っているという話がある。(ホモサピエンス全史から)これがないと大規模コミュニティが一つの方向にまとまることはできないとしている。

この話をもとにして、ビジネス交渉、さらには国際調停の紛争交渉においても、相手に何をどれだけ信じ込ませることができたかで、その相手が自分のために動いてくれるかが決まるということも言える。交渉の場においては、厳しい世界で、基本的には有利か不利な立場にどちらかが立つことになる。そして、もしかすると、相手になにかを信じ込まされた方が有利になり、信じ込まされた方が不利になるのかもしれない。

日本という大きな国の単位で考えても、メディアの操作やいろんな側面を通じてどこかしらの国に有利になるような物語が吹き込まれているかもしれない。

国外に行き、外から日本を見つめるのは、このような物語の存在に気づくもしくは、帰った時に違和感を感じることができるようになることになる。

もっと、マクロな交渉の場に自分が立った時にも、この物語を意識しないいけない。それが、意識できないと相手に思うがままにされてしまうということである。

このようなことを書いたが、最終的に自分が言いたいことは、ここにやはり、国際ネゴシエーターのような調停人の存在の重要性が見られるのではないだろうかということだ。

世界には、力と力の関係のみではいけない場面が人道的場面において多く存在すると信じている。その状況において、ネゴシエーターファシリテーターとしての役割を担い、この根本的な部分での平等性を確保するの側面があるだろう。

やはり、自分が学ぶ必要があることのひとつとして、二項対立もくしくは多項対立の中で力の差が見られる場面において、どこまでがファシリテーターにより確保されるべきところになるのかということだと思った。