成長するとか成果を出すこって本当に必要なのか?

一年の目標に掲げている「圧倒的に学び、圧倒的な成果を出す」ということは本当に必要あるのか?

別に、成長をしない一年があってもいいのではないか。このような目標は、多角的に物事を見てから掲げる必要がある。なぜなら、生活の中で何かを重視するということは、同時に何かを犠牲にすることにもなるからだ。

自分の意味する学びに重きを置かないのであれば、もっと挑戦、挑戦でいろんなことをやっていく一年もあり得る。でも、自分は学びを重視する必要があると思う。それには、もっと深い考えがあって、自分のいる環境や、自分を人生100年で見たときの俯瞰的視点であったりとか、なににモチベーションを感じるのかとか、いまだ!これだ!というものを一年の抱負にするのがいいと自分は考える。

いまだ!これだ!というのを感じることなく、なんとなく、このこれは大事そうだからこれを今年の目標に掲げておこうといった具合にしてしまうと、そんなことは山ほどあるので、すぐに忘れ、あまり意味のない目標になる。

この軸を一年や半年を単位に入れ替えていくのは、大切なものを見失わずに、大局観をもって進んでいくためにとても大事だと思う。そして、それは迷ったときに立ち返れる場所になり、自分の中で一本の筋を描きながら進んでいける。

これは、自分の中での筋のことで、周りに対してうまく言えなくも問題ないと思う。もっとも、最初のうちは心の中でなんとなくイメージしているものを追っていくわけだから、言葉にするのに困って当たり前だと思う。

でも、それが徐々に行動になり、そして言葉になっていく。