アバウトな夢を持つこと

夢をアバウトに持つとロクなことがない。

それでも、夢はアバウトに持つ方が楽しいと思う。

アバウトな夢がすべての始まりだ。

別の言い方でいうと、何かになりたい、とか、あそこに就職したいとか、そういう社会の中で勝手に作られている枠で考えるのでなはなく、イメージを持って夢を考えるということだ。

つまり、絵で書いたりとか、歌に歌ったりとか、単純に夢を職業とかの単語で表現する以外のやり方で表現できることが楽しい夢の持ち方ではないだろうか。

このようにして、アバウトに夢を持ち始めるとロクなことがない。

なぜなら、このアバウトな夢には明確なモデルが今の自分の前に用意されているわけではないからである。

つまり、TOEICで900点を取るためにやるべきことは参考書に明確に書いてあるし、それを達成して来た人も簡単に見つけられるから具体的な行動をすぐさま、的確に、明確に取ることができるだろう。

 

しかし、楽しくてワクワクする夢は絶対にアバウトなはずである。

それは、人間の想像力の限界があるからもしれない。

心と言葉は繋がっているようで繋がっていないからかもしれない。

心で感じたことをストレートに表現されたものに出会う機会を持てていないからしれない。

少なくとも、自分はそのアバウトな夢を言語化するのにめちゃくちゃ時間と労力とお金がかかった。

TOEICで900点を取ることとアバウトな夢を形にしていくことと、どちらもできれば社会にとって役に立つ。

でも、どっちが楽しいかというと後者かなとも思う。

どっちも選択できるなら、後者を選択するかな。

しかし、現実的にはこの選択は大学生になってからでは遅かったりもする。

現実的には、大学生の就活生になってから、アバウトな夢を見だしても、それを形にしていく前に働いてお金を稼がないといけない状況になっていく。

だから、高校生の頃から、アバウトな夢を持って、それを社会の中で形にしていくことをやっていくと良いと思う。

別に、毎日、その夢に対してやるべきことが明確に浮かばなくても幸いにも高校性は目の前にやるべきことがあるので退屈しないだろう。

 

そして、その夢を形にしていくためのアイデアが本当に浮かんできたらそれに没頭すれば良いと思う。

自分自身で自分の方向性を定めていく作業は大変だけど、楽しいし、積み重ねが大きなものにもなる。