コミュニティ開発において物語の持つ意味

物語は人間の心にとてつもなく大きな意味を待つ。

人類社会は物語によって成り立ってきたという側面がある。

物語を共通言語を通じて頭の中でイメージし、それが、自分とそれ以外の人たちとの共通理解というものをより高度なものへと立ち上げ、共同を可能にしてきた。

もしも、物語がなければ、高度な共通認識、共通理解、共同体は立ち上がらないのではないか。

ここから、転じて、コミュニティに根付いた活動をしていく上で理解する必要があると感じたものが、その場所に共通して存在する”物語”なのではないかと思う。

どのような形でこの物語が存在するかはコミュニティによって異なる。例えば、それぞれの村において伝統的な儀式があり、お祭りなどを行う。

自分が活動している伊根町という小さな町の中でもそれぞれの地域が細かく分かれていて、それぞれが儀式をもつ。

そして、この儀式はそのコミュニティ内に語り継がれてきた物語が背後にあることが多い。

しかし、現代はそれが忘れられていることが多い。

これのなにが問題なのか、それはそのコミュニティ内においての絆、繋がりという点で大きな問題である。

冒頭でも述べたように物語は、人間の共同に大きな影響をもたらす。そして、共通の物語を失った共同体は同時に、協力できる共同体から物理的にのみ近い人に変化していく。

 

そんなことを「ホモサピエンス全史」と村上春樹の心理学者:河合隼雄へのコメントを読みながら考えた。