研究の楽しさ!!
研究にはまっている。
研究はすべて仮説ありきで進んで行く。
なにかの物事に対して仮説を立て、それを立証するために文献を読んだりフィールドでその証拠を収集したりする。中には仮説をあまり立てずに情報をフィールドで収集するやり方もあるが。(自分のゼミの先生はこのやり方に近い)
いろんなアイデアがありそのアイデアの証明に向かい多大な努力がなされてきた。そのおかげで私たちはより確かな情報を手にすることができるようになってきた。
自分の考えていることがより広い見方でアプローチされることもしばしばある。
研究をするという意識のもとで調べ物やインプットを行なっていると本当に面白い現象に出会える。
ふつうに生活しているだけでそれが自分の知りたいことや興味のあることに対しての有益な情報となって返ってくるのだ。
自分の中ではその生き方に自分の人生を有益に使っているという感覚を生むことができるし、何しろ自分の中にある種のアイデンティティが生まれることで生きやすさを得ることができるとも言えるかもしれない。
自分の考えを何かしらの物事に置き換えて言語化できるようになることは即ち自分の中での納得感を得るためには有益だろう。
これに対して研究が宗教のような働きをしているのではないか?研究者はそんなものなのか?という批判があるかもしれない。
つまり、自分の中だけの納得感のような狭い世界で生きることがあなたの社会からの使命なのか?という見方である。
自分も同じくこの点に関しては疑問を持つ。
そんな中で「一つのことを突き詰めることは世界の森羅万象に触れることだ」という言葉がある。
この言葉が示すように研究者の頭の中ではある種のこれが世界だというものが少なからず存在する。それ自体は間違っていないし、個人完結の世界としては良いだろう。
(おそらくこの言葉の真意はもっと深いものだと思うが)
いずれにしろ、ここでの議論のポイントとしては研究者の社会的な意義をいかにして高めて行くことができるのかというものだ。
【コネクターの役割】
ここで自分が提唱するのはこの研究者の社会的な意義を高めるためにコネクターという役割を作ろうというものである。
この記事を書いていている最中にまた研究ができるような材料が出てきてしまった。
ここで、自分に対して質問を繰り返す。「どうやればコネクターが研究者の社会的な意義を高めることができる役割を担えるのか」という質問だ。
これに対して熟考を繰り返した結果、(まだ熟考をしていないが)例えば、それぞれの学問分野を統合する役割を持つ学問分野を確立し、その専門家がコネクターとしての役割を果たすことで社会的意義が最大限に高まるのではないかという仮説である。
この仮説を立証して行くためにリサーチを繰り返す。
いま、オーストラリアで留学をしているがこのような仮説を現地で検証していけるだけの能力を得たい。
それは語学力、対人関係能力、批判的思考力、データ収集力、人脈力、体力、資金力、他には何があるだろう。
ビジネスインターンを今後する予定があるがこれの自分にとっての意味も、実社会の中で研究がどのように活かすことができ、さらに、自分の経験を高めることで研究をする際の感覚を向上させて行くことである。