アボリジニについて学ぶ!グリフィス大学での履修(追加科目)
先日紹介した三教科に加えてもう一科目履修をすることになりました。
Reconstructing the Aboliginal Australian という授業です。
アボリジニとは?
オーストラリアに来てから間もなく、最初に関心を持ったことがオーストラリア先住民(アボリジニ人)の問題でした。
イギリスから来た人々が植民地開拓という形で土地を奪い取り、あらゆる形で「白人優位」の形を築いてきました。
これにより、アボリジニ人の文明というものは破壊され、1870年〜1970年ごろまでには親子を政府によって強制的に引き離して白人の元で育てられ(盗まれた時代)、白人社会の一方的な支配のもとで大きな溝をオーストラリア社会に生み出してきました。
この科目を履修するに至った経緯
この問題に対して観光をどのように活用していけるかを考えていた時に、先日アデレードまで訪ねにいった教授に出会いました。
そして、先日、その教授が行なっているプロジェクトにインターンという形で巻き込まれることが決まりました(ビザがうまくいけば)。
簡単に言うと、このプロジェクトに貢献するためにアボリジニ文化をしっかりと学ぶことにしました。
そのインターンの内容がeducation for sustainability というプロジェクトです。
このプロジェクトの中では
学校教育→コミュニティ開発
という構図を持った取り組みがこれからなされようとしていています。
sustainable教育を学校で普及し、それを地域コミュニティレベルにまで広げていくことで、地域の文化を作り変えていき、グローバルな視点を持った社会的に良い地域を生みだす取り組みです。
このようなコミュニティ開発をしていく際にこれから取り組もうとしているのが、先住民の生活の知恵や培ってきた文明を現代の地域開発の中に組み込んでいくことです。これにより、持続可能な開発を行います。
持続可能な開発をしていくには、複雑な問題があり、逆にいうと、一つの問題の解決がすべての問題の解決に繋がったりもします。
なので、この下記の視点は本当に部分的な示唆ですが、例えば以下のような視点でアボリジニの学びを持続可能な開発に生かしていけます。
1つは、先住民の知恵や価値観が現代の持続不可能な社会に貢献できるという視点。
もう一つが、先住民の文化や価値観を組み込むことが、文化的にも精神的にも彼らを取り残さないことにも繋がるという点です。
「持続可能な開発」とアボリジニの学習のつながり
持続可能な開発を行っていく際に、大きく分けて3つの視点に分類することができます。
・経済
・環境
・社会
それぞれの分類のなかには複雑な構成要素が含まれていますが、これらの3つの視点から見て、社会の在り方が持続可能かどうかを検証し、持続可能になるための目標を掲げ、それをマネジメントしながら開発を進めていくことを持続可能な開発といいます。
この授業では、これまでの歴史の中で民族的に差別されてきた、民族の視点から社会を捉えなおし、この社会の在り方を問うという構成になっています。
普段、日常生活を送っていると気づかないことはたくさんあります。
でも、例えば、アボリジニ人のような人々が西洋人に日常的に差別され、社会システムとして抑圧されながらもその波にさからい、自分たちのアイデンティティや文化を守ろうとしています。
アボリジニの文化や歴史は、オーストラリアの学校教育の中でも、十分になされていないのが現状です。
歴史そのものが、西洋人の視点から作られているのでそれも無理はありません。
西洋人が作り上げた物語が、科学的に語り継がれて、また新たな物語により、それが強化され、あらゆるマイノリティの民族の人々にとってはおかしい社会が出来上がります。
これは、西洋人がマイノリティの人々を抑圧したいから行っているのではなく、彼らが優位に立ちたいから、行ってきたことであるという分析をしている人がいます。
このように、社会的に「不平等」な社会が招く結果は、簡単に言うと、社会秩序の乱れであり、社会権力の独占であり、さらには賃金格差の拡大でもあるのです。
だからこそ、持続可能な社会を実現していくには、この社会的な視点から、オーストラリアにおいては特に、先住民の視点から学ぶ必要があるのです。そして、この授業の題名でもあるように、Reconstruct(再構築)していく必要があるのです。
そして、ソーシャルなツーリズムへのつながり
そして、この視点をコミュニティの開発に導入していくことでなにが起こるのか。
このような形で再構築されるコミュニティは、地域の歩んできた歴史をしっかりと残した、文化的にも豊かでユニークな地域が生まれます。
地域の文化に、アボリジニの視点も導入され、そこを訪れた人たちは、普段の生活では学べない視点から観光滞在を経て学ぶことができます。その場所に住んでいる人たちが、持続可能な社会について、学んで、生活を送っているからこそ、観光客にも訴えるものがあります。
さらに、その地域においての文脈のなかで持続可能性を目指して、作り上げた「場所」では、その地域でしかない「持続可能な形」の姿があります。
こういう場所での、ローカルと観光客との相互作用がソーシャルなツーリズムにつながると考えています。
その地域の意思が、社会をよりよくする方向へ訪れた人に訴えかける。これがソーシャルな観光になると思います。
「持続可能なツーリズム」は、このソーシャルな観光を構成していくための、大きな観点です。
持続可能な観光そのものは、ソーシャルな観光ではなくて、この観点から開発を行うことで、地域のソーシャルな観光の部分が湧き出てきて、それがソーシャルな観光を生み出すというイメージです。
【ひとを動かし、ひとの心を動かす】ソーシャルな観光地域プロデューサー・研究者への道
多国籍大学の現実
グリフィス大学は多文化国家オーストラリアの中でも最もインターナショナル化の進んだ大学として知られている。
授業を受けていても、学部にもよるが半分くらい、あるいはそれ以上にインターナショナル学生がいる。
授業を切り取ってみると、この両者はどのように混じり合うのか。
表面的にはやはり、この両者は混じり合うことがあまりない。
座席の場所においても。グループワークにおいても、やはり、この両者は別れる。
ここまで綺麗に別れるのなら、ここに食い込んでやろうと思う好奇心を持ってしまう。
ここに割いってみるとどうなるか。
1セメスターしかいないのだから、この中に突入して、踏ん張り続ける。
ネイティブの英語の壁は恐ろしいほどにあるけど、そこから逃げたいると一生超えられないので。
飛び込むことでより、鮮明に問題がわかってくるはず。
できるかできないからではなく、やるかやらないか。
またレポートします。
オーストラリアTOP1、世界トップレベルの観光学部での履修(グリフィス大学)
グリフィス大学では、今週から授業が始まりました!
オーストラリアの大学では、基本的に1セメスター(12週)の中で4教科選択します。
1教科につき、講義形式のレクチャーとディスカッション形式のチュートリアルというものがセットであります。
4教科は日本の大学の感覚だと少なく感じますが、それぞれの教科が結構重いので、だいぶ勉強はする必要があります。
自分は、悩んで5教科くらいの選択肢で悩んでいて、昨日、朝から夜までぶっ通しで3つの授業に出たりしながら、最終的に3教科に絞りました。
プログラムの関係上4教科取りたかったら追加料金がかかったのでやむを得ず絞りました。
さて、その3教科は以下の通りです。結局すべてが、観光学部での授業になりました。
1 ‘Planning sustainable community’
一つ目の教科、 ‘Planning sustainable community’ は、sustinablityとliveabilityを持つコミュニティをどのようにプランしていくのかを学ぶ授業です。ただ、プランの方法論を学ぶのではなく、ケースを用いてクリエイティブに政策をプランしていくという授業です。
プランニングには、通常様々な分野の専門家が集まって一つの政策を作り上げるプロセスのことで、実際に教室にも様々な学部の人たちが集まっておりバックグランドの異なる人たちとのディスカッションを通じて新しい気付きをしていけそうです。
授業では特にコミュニティにとっての持続可能性と住みやすさとは、なにかを深く学びます。自分の場合は、これを観光というものをツールとして用いたときにコミュニティにいかに貢献していけるのかをこれまでやってきました。
人が訪れたくなるようなコミュニティとはどのようにして作られるのか。
最初の授業では、バンクーバーが例として出されました。
世界一住みやすい都市として有名です。
住みやすい都市になると、それは、地域にとっての豊かさの指数を上げることにつながります。
世界一住みやすいというは、ほかでもなく、そこに住んでいる人にとっての住みやすさです。
地域のコミュニティにとって快適で、居心地よく、豊かに暮らしていける。
こんなコミュニティをデザインしていく授業と考えるととてもわくわくしますね。
2 ‘Destination marketing’
2つ目の教科は、Destiantion marketingの授業です。
DMO(destination marketing and management organization)というものがあります。
観光客はホテルを訪れるわけでもなく、レストランを訪れるわけでもなく、基本的には地域そのものを目指して場所を訪れるはずなのに、その情報は、それぞれの点からしか発信されていない。さらに、地域内においても、力とお金のある一部のステークホルダーが地域内で好きなようにして、地域そのものの価値を高めたり、将来にも持続的に人が訪れらる場所にするために管理したりすることができない。
このような現状が、観光地にはあります。これをマーケティングとマネジメントの両方をDMOという中間的組織が地域のかじ取り役として推進することで問題を解決し、より持続的で魅力的な場所を作っていくことに貢献します。
日本においても、2,3年前から政府がオリンピックまでに日本全国に世界レベルのDMOを100個作ることを目標に掲げ、「日本版DMO」としての推進を始めました。
自分は、このDMOをインドネシア留学中に知りました。その概念を知っていくうちに、自分の理想とする観光地にはDMOが欠かせないと考えるようになりました。そこで、DMOに30年以上前から積極的に取り組んでいる国の一つであるオーストラリアで学ぼうと決めてこっちに来ました。
なので、これを学べることにとてもわくわくしていて、遂に、これが学べる!!といった感じです。
また、この授業では、特にDMOの中でもマーケティングについてやるのですが、DMOについても包括的に教えてくれるのでとてもやりがいのある授業なので、また内容をシェアしていきたいと思います。
3 Tourism management principles
そして、最後が、Tourism management principlesです。
How can we make tourism industry more sustainable ?
観光産業が、いかにすれば持続可能になっていくのか?
これが最初の問いで、この授業を通じて考えていくことです。
なので、シラバスを見ても、毎回、Sustainable tourismについて学ぶことになっています。
企業の力が強くなっていくなか、企業の社会的責任が広く社会から求められています。どうすれば、もっとポジティブなインパクトを残せるのでしょうか。
Sustainablityというと、常に、議論がなされています。なにが、sustainable なのか。
なにを中心に考えるのか?指標はどうするのか?等々
なので、まずこの授業を通じての一つの獲得目標はSustainabilityという複雑な概念を自分の中で落とし込み、自分にとってのSustainablityとは何?を構築することです。
これを観光産業と結び付けて、どうすれば、より持続可能な社会に観光産業が貢献できるのか、また、ネガティブインパクトを最小限にできるのかを産業の特徴をとらえたうえで構想します。
SDGs(持続可能な開発目標)に観光産業がどのようにして貢献しいくことができるのかという、最近書いている論文にも直結するので、速度を上げてしっかりと学びたいです。
【アデレード旅のまとめ、志で繋がる人たちと出会って得たもの複数】
先日、約1週間のアデレードへの旅を終えました。
実はこの旅、南オーストラリア大学とある教授に会うということだけを決めて、そのほかは全くのノープランでした。
結果的に、その教授に色々な人を紹介してもらえて毎日とても充実した時間を過ごすことができました。まったく何のつてもない自分が、いきなりメールを送って、超忙しいはずなのに、いろいろしてくれてとても感謝しています。
ここ最近は、自分の志に対しての行動を取ることが制限されてきて、正直思うようにはできなくて苦しい時間でしたが、アデレードのトリップで完全にハッピーになれました。
ここで繋がった人たちは、みんな大好きでした。その中で共通していたのは、皆がBetter society を本気で目指してイニシアティブを取っていたところでした。
たったの1週間でしたが、得られたこと、感じたこと、また変わるかもしれないけど、大きく6つに分けて今の自分の中で統合しました。目的はあくまでも自分の志(ツーリズムを通じて’より良い社会’を作って行くこと)を達成していくことです。
①事例を探していくこと
その中でも、今回のトリップでは、tourism for social の概念を構築し、世界に広げていく目標を具体化をしていく方法を探すことが一番の目的でした。そして、そのためには、事例をたくさん見ていくことが大切だと実感的に改めて思いました。
今回は大きく分けて五つのタイプの事例を見ることができました。
一つ目がエコビレッジのようなある目的を持ったコミュニティを作ることに特化することにより、強力な体験型メディアが構成されると言う事例。
二つ目が、都市政策の立場から、歴史を正しく捉え、物語を共同体の中で統合していく事例。これが外部から来る観光客に正しい地域の歴史を伝えていくもの。
三つ目がレストランがコミュニティづくりの中心となり、教育的な視点から地域内のサステイナブルの意識を向上させていく事例。これにより、訪れる人が影響を受けるタイプ。
四つ目がレストランのような料理のプロフェッショナルや音楽、ダンスなどのなにかのプロが、人種差別などの心の障壁をなくしていく事例。プロがキー。
そして、最後が、大規模な地域内イベントにより、地域に眠っている普段は見えないカルチャーを表出させる事例。これにより、観光客も地元の人も双方に地域について学ぶ機会を生み出すイベント型のもの。
どれも、その場所にいる人の社会に対する意思が綺麗にしっかりとコミュニティを巻き込んで表現されていくことがポイントになると感じた。
なので、二つ目のポイントとして
②表現
を挙げたいと思います。
これは、文章を書くことだけではなくて、音楽やダンスや写真やビジネスやコミュニティづくり等々、手段はたくさんあります。志がつながるためには、表現が必要。
それぞれが哲学を持って、内発的な価値観で繋がり、集まり、社会に対しての働きかけを先頭を切ってやっている。そんな人たちでした。
だから、みんな本やレポートを出版して世界に発信していました。
自分がそもそもなんでこの教授に行くことを決意したのかというと、その教授の論文を読んだことで共鳴したからです。
③同志
社会の中で強く、自分自身も健康にやって行くためには周りの環境も大切だということです。オーストラリアであっても同調圧力というものはあります。これは、人間の集合体としての本質として存在するもので、ポジティブにもなることだと思います。ただ、ネガティブな方向性に同調圧力が使われる場合もあって、その状況にならないためにも、さらにポジティブな個人をよりポジティブな集合体に高めていくためにも仲間づくりが大切だと強く感じました。
④方向性はサステイナブルな社会
より良い社会をもう一段階、抽象的な表現で言い変えると、サステイナブルな社会だと言うことです。Sustainability を基準値として据えることで、より明確に目指す方向を共有できると感じました。SDGs(持続可能な開発目標)を国連が示しているように、世界が目指す方向性はすでに提示されています。
⑤クリエイティブとビューティフル
その方向性に対して、クリエイティブにアプローチしていく必要があります。既存を支える人も大切ですが、全く新しいことを思考の枠組みを外して考えていく人も必要で、まさにそんな人たちに会えて、そういうことかぁとイメージできました。
創造的にやっていくことで、方向性としてのビューティフルさにこだわっていかないといけないということもまた教わりました。そういう意味で理想を追い続ける必要がある。
⑥地域研究の立場がクリエイティブなアイデアを生み出せる気が!
その方向性をクリエイティブに表現していくにあたって、(つまり、tourism for socialの概念を広めていくこと)地域研究の立場が大いに活かせるんじゃないかと思うに至りました。
地域研究とは、地域を多角的に捉えて、この地域とは何かを解明していく学問ですが、この学問的視点が新しい創造的な場所を作っていくための価値を持っていると特に感じました。
この気づきを一旦、近いうちに表現してみようと思います。
では、次への行動と繋がりと自信を持てたので、これからも一歩一歩、歩んでいきます。
Nurturing society: 物語を再構築し、共同体の共通意識を生む
Nurtur とは、nourish という言葉から来ている言葉で、またさらにnourishはnurse(ナース)という言葉から来ています。ナースといえば、病院で患者さんのケアをするようなイメージですね。
ここまで来るとお分かりかもしれませんが、これらのワードには、careという語感を持っていて、このNurturing societyとは、ケアをしながら方向性としては社会が良くなっていくという社会です。
言うなれば、ナースが患者さんに無理をさせないように最善の注意を払いながら、それでも病気や怪我が回復していくための手助けをしていく。
このような社会です。
そして、先日、アデレードにてNurturing Societyをテーマにした少人数のカンファレンスのようなものに参加してきました。
このカンファレンスでは、実際にアデレードという街をイニシアティブを持って実行していこうという人たちが集まり、大いに盛り上がりました。
このカンファレンスでは、PolisPlan
という会社のBeautility Developemnt
という新しい都市の創造を行なっているプロジェクトの一環として、
The Sustainable Enterprise & Entrepreneur Network (The SEEN)
という持続可能な取り組みを行うイニシアティブを取っていくネットワークとのコラボによって行われました。
まず、polis plan という会社はギリシャルーツの夫とスリランカ出身の奥さんが主導していて、都市計画を中心にエコビレッジや都市の変化に伴うプランニング、さらに本の出版なども行なっている。モバイルコンサルタントという形で、オフィスを持たず、普段は2人でキャンピングカーで生活をしているというユニークなライフスタイルをしている2人でした。ちなみに社名にもなっている「ポリス」というと、古代ギリシアの都市のことで、ポリスという言葉には、深い長い歴史があり、人が都市を形成して社会を作ってきた起源を見ることができます。
出版されている本の一つ「Rethinkig City」
サインも頂きました^_^
そして、彼らの取り組みは日本語で言うと、「温故知新」とでも言うような、古きに学び、新しいことを知る、というか、新しいものを創造していく活動になっています。
なぜ、教授が彼らを紹介してくれたのか、話を聞いていくと、その理由がわかってきました。
自分は、「より良い社会を作っていくためにツーリズムを通じてなにができるのか」これをテーマにしている。そして、彼らは都市の新たな創造によって、より良い社会(この部分での価値観の共有があった上で)を作っていくことを、まさにイニシアティブを取って社会に働きかけている。
これ、めちゃくちゃ、参考になりました。
例えば、歴史を知り、今に活かすという例として、オーストラリアの先住民であるアボリジニ人の生活スタイルがある。
これは、先住民の生活に戻ると言うことではない。
先住民の生活には、サステイナビリティを見ることができる。
自然との調和、集団の調和、自由、平等、などなど、人が集まって生活していく上でのサステイナビリティを基軸においた際に大切になっていく価値観がそこにはあります。
そして、この価値観を作っているのは、先住民がそれぞれの民族ごとで培ってきた文化であり、それ即ち、「物語」である。
先住民がそうしてきたように、小さな循環型のエコノミーを都市に生み出し、そこに共通の価値観の持った人が集まり、共通の物語を構築していく。
集まりを作ることもできるし、新しいものに作り変えていくことも考えられる。
ここからは、自分の考えとして、このカンファレンスを通じて刺激されたところをシェアします。
このような場所って、めちゃくちゃソーシャルなツーリズムの観光地としての主力になるし、そこで人が外部の人とも繋がれる機会づくりをしながらも、もはや、このような場所を作っていきたいと思いました。
自分には、都市計画とか工学的なスキルはないけれど、それは協力してできるとして、本当にこのような場所を作っていき、そこでゲストとホストが刺激し合えるような場所を発見したり、作って行ったりしながら、ソーシャルなツーリズムが広がっていくだろなぁーとより具体的なイメージを持てました。
なので、具体的にやっていくこととしては、ソーシャルなツーリズムの目的地となりうる場所の検討、そしてそこで人が学べる場を作る。さらには、ソーシャルなツーリズムの目的地になれるような場所づくり。なれるポテンシャルのある場所ってたくさんあると思うんですけど、なかなかそれが表に上がってこない。
それの手助けをすることが中心になる。時にはドラスティックに変えていく必要のある時もあるかもしれないけれど。
なので、要するに、その場所に共感できるマンパワーがあればやっていくことができる。
作り上げるところから、周りに届けていくところまでやりたいな。
終わり。
ひとを動かし、ひとのこころを動かす
~ソーシャルな観光地域プロデューサー・研究者への道~
とあるアデレードでの金曜日とインテンショナルコミュニティ
金曜日、私はある村へ招かれた。
村と言っても、アデレード市内の中心部に位置する。でも、それは小さな村のような共同体だった。
Christine walk community (クリスティウォーク)というエコビレッジがアデレードの町の中心部にある。
そのコミュニティは、サステイナビリティを中心とする信条を持って集まった人が共同で作っている、いわばサステイナブルな居住空間だ。
40人の0歳から91歳までの世代が住んでおり、ビレッジの中には野菜を育てる庭や屋上ガーデン、特殊な素材で作られた8棟の建物、居住者が集うコミュニティスペース、11台しか止められない駐場。
日本のマンションしか街中の大人数で集まって生活をするタイプの居住空間しか知らなかった自分にとって、このような場所を見せてもらい、話を聞くことで、とても新鮮な感覚を覚えた。
こういう特定の信条に基づいて、人が集まり、ある一定の規則に基づいて民主主義的に生活するコミュニティをインテンショナルコミュニティ(intentional community)というそうだ。
影が正確な時間を示す↑
社会的、政治的、宗教的、又は精神的ビジョンを共有し、一般社会とは異なる独自の様式の生活を送る。
例えば、仏教の修行僧が住む居住空間もインテンショナルコミュニティだし、トビタテ留学ジャパンのとびたてハウスのようなシェアハウスもある意味インテンショナルコミュニティと言えるだろう。
昨年の春先に母方の福井にあるお寺を訪れたあと、永平寺というお寺に訪れたのを思い出した。曹洞宗という禅宗の一種のお寺で修行僧が日々の修行をしている生活空間を体験したことがある。
毎日の生活は、曹洞宗の教えを中心に回っており、みんながそれに同意して人々はまとまりをつくる。
それが訪れる人々の心に有り難さを感じさせる。
お坊さんの有難さは一人では構築していくことはできない。
ある集合体がそれを信じて、共通の感覚(common sense)を保持しているからこそ成り立っている。
つまり、曹洞宗で修行したお坊さんたちの集合体が人々を苦しみから救い、曹洞宗を信仰している人達に恩恵をもたらすということが共有されているため、今でも存続している。
これは、人が苦しみという、向き合いたくない感情を持ち、それを社会の中で仏教コミュニティという機能を持ってして解決していくことが要請されているからだろうか。
話を戻して、昨日訪れたエココミュニティのようなものが生まれていくのは、人の苦しみの対象が自分から、自然、あるいは、未来という対象にまで広がりを持っているからではないだろうか。
エココミュニティはそれを取り除いていくための集合体の形成なのではないか。
もともとあった興味が、インテンショナルコミュニティという言葉を通じてその概念を知り、実例を見ていくことで、今まで考えていたこととの結びつきがあったのでシェアしたい。
まず、前提として、インテンショナルコミュニティを、一種の表現技法として捉える。
人の信じたものをコミュニティという人の集合体を社会に対して表現していく一つの表現技法。
その意味において、音楽、アート、文章やダンスと変わらない。
それでもそれを集合体として行うことに社会に対しての大きなインパクトがあるはずなのだ。
一つ目としての興味がその表現を通じて社会に与える影響である。集合体しての表現を外部に発信をする。それは、観光というツールを通じて成される。この観光は間違いなく訪れた人のなにかを変えるきっかけとなる。
もう一方で、コミュニティの担い手に対しての影響である。
人は一人で大多数の人が共有していないストーリーを信じて、それを貫いていくことは、大変でしんどいことである。そして、大多数の人が信じているストーリーに明らかな違和感を個人として感じるとする。それが例えば、環境問題に対するシンパシーとか、自分であれば途上国の人に対するシンパシーである。
なので、2つ目のインテンショナルコミュニティの特性として興味を持ったのが、一人では社会の渦に巻き込まれて失われていく気持ちをコミュニティに巻き込まれることで貫いていける強さを与えてくれるということだ。人に人生を通じた表現する勇気をくれる。
自分は美術館に行くのが好きなのだが、それは、単純に人の表現を見ることで自分の中にある何かが湧き上がってきて、スッキリするからだ。
動物への虐待、途上国の貧困、震災復興、人権問題、等々様々なテーマで活動をしている。
これらに対して大多数の人が取る行動は寄付であったり、ボランティアであったり、自分の人生のお裾分けをするだけである。
なんで、こういうことをするのかの大きな理由は、そこにあるストーリーに共感するからだろう。
そこに関連するストーリーを見聞きし、それにシンパシーを感じることで、寄付やボランティアの行動に結びつく。
それだけではなく、そのような寄付をしたりする行為が自分自身の精神的な豊かさに結びついたりするという、ボランティア精神そのもの対するストーリーも存在する。
でも、なんで、自分の本業というか、日常の中心にあるものがそのような活動に向いていかないのか。
それも、自分の人生そのものをボランティア的な行動に結びつかせるストーリーをコミュニティの中で共有していないからだろう。
インテンショナルコミュニティを通じて、人生の大きなパラダイムを信じた方向に向けていけるようになるんじゃないのかなあ。
自分は間違いなく、今回のトリップを通じてめちゃくちゃ勇気付けられた。
それは、ある一人の自分と価値観のドンピシャな教授がいて、その人に紹介してもらった人に会いに行き、またそのコミュニティに触れることができたからだ。
インテンショナルコミュニティとは言わないけど、先生のネットワークに入れてもらえたということがさっきから書いているような志の共有に繋がり、信じる方向性へ向いていけるための勇気づけられた。
観光を通じて別の選択肢を見出せる
都市に住んでると、頭でっかちになる。
頭ではいろんなことを知っているのだけど、それが意識と繋がっていなくて、本当に自分の望んでいることを実現できずに生きている人も多いのではないでしょうか。
目標に向かって、突き進む人がいます。何のためにやっているのでしょうか。
それは、誰にとっての価値なのでしょうか。
その価値はどこから生まれてきたのでしょうか。
場所が違うだけで、食って、食べて、寝て、歌って、同じ人間ライフを過ごしている人たちと時間を共にすると自然とそんな疑問が生まれるのではないでしょうか。
これが身体的移動を伴う体験の持つ価値の一つです。