新たな学問の創造

「みんなが輝く観光地論を研究として展開していくためには」

科学として現象を「分析」し、そしてゆくゆくにそれをもって学問的な貢献につなげ、最終的には「現象(社会と人間)の解明」に向かう。

それが世界を理解することなのか、地域社会としての概念を理解するものなのか、公共の場での教育を理解するものなのか、または、観光の一現象としてとらえ、それを観光現象の理解に役立てるのか。

いずれにしろ、これまでの自分の研究の向かう先が、前提として「みんなの輝く観光地」を作るための研究に向いていた。これは学問ではなく、政治的というほうが正しい。

政治やビジネスを学問としてやるとはどういうことか。これも勘違いしてはいけない。政治やビジネスには、それぞれの価値観が本質的に横たわっている。こういう風にしたいとか、こういう姿であるべきだという。そのなかには、美しい願望もあるであろう。例えば、チェゲバラのようなこの世の貧困のような不平等をなくしたいといった美しいものでさえ、学問においてはさらに厄介である。

ビジネスや政治を学問することというのは、それぞれの現象を導いている原因となっているものやその因果関係をいづれかの研究手法をもってして解明をする。そのプロセスにおいては、「事実」があり、その積み重ねによって何かの「理論」が構築されていく。当初から願望から生まれる「目的」をもっていることは、学問の破たんを招くことになるのだ。

学問の信頼とはこのような学問的な特性からも生まれる。


では、このような質を持つ研究を用いてみんなが輝く観光地の発展を渇望する自分はどのように今後の展開を見通すことができるだろうか。

まず前提として二項の確認をしたい。それは学問と実社会という異なる世界だ。

客観的な事実のみを浮かびあげらせることのみが学問にできることである。一方では、客観的な事実のみですべてが決定するわけではない実社会だ。

この両者の違いをわかりながらも、かつ学問と実社会の接合を持つとはどういうことか。


一つの方向性の形となるのは、この両者の組合せ「産学」「官学」あるいは、国際協力と学問の連携の研究である。


この実社会と学問の連携を言い換えると、学問上の何かしらの成果を実社会で行われている活動に応用することである。

この段階においては、学問上の客観的な事実関係よりも実際にどうなるのかが最重要だ。ということはこの両者の接合は、より人間の価値観ということころに根ざしたものであることは間違いのないことである。つまり、この段階では、自身の信条や志を現実を変えるための手段としての学問になるという見方ができる。

学問が現実社会で役に立つというのは、見方を変えるとこういうことではないだろうか。


ところで、そもそも、なぜ、みんなが輝く観光地を立ち上げていくのに学問が必要なのか。

それは、みんなが輝く観光地がある特定の限定的な現象ではなく、すべての人が取り組むことのできるものにしたいという思いがあるからだ。

普遍的に展開していくためには、実社会のリアリティにのっとった、応用可能なレベルにまで抽象度を高めてみんなに共有していくことが必要で、この抽象度を上げるために、研究者としての分析が必要だと思ったからだ。


つまり、新たな「知」を生み出す行為としての研究に興味を持った。


研究を新たな知を生み出すものとしてとらえたとき、そこには、学問としての積み重ねがあることに気が付いた。

知識としいうものは、突然生み出るものではない。

言葉巧みに新しい表現することができることはあっても、知識としての新しさとはまた別のものである。

では、この知識は一体なんなのか。

ここでは、学問が生み出すことができるものであるという規定のみを与えておこう。


学問と実践の融合とは簡単にいうと、この知識を実践に応用することである。

多くの場合、この知識は学問の世界に埋もれて実社会に出てこないことが問題になっている。この点、みんなが輝く観光地理論は、また違ったものであるとの見方ができる。なぜなら、これは既存の知識をただ単に応用するのみではなく、まだない知識を新たに構築していき、しかしそれは、未来の実践においての応用をするところまでデザインされていているからだ。


であるならば、まずする必要があるのは、みんなが輝く観光地の知識の創造をしていくための基盤となる「みんなが輝く観光地論」の構築である。


たとえば、地理学という学問が発展してきたのは、地理学的現象はどんなものなのかという概念が生まれ、こういう方法や分析枠組みで地理学という観点から研究ができるというものが積み重なってそれが学問としての成立となった。さらに、地理学という枠の中にはさらに細分化は進み、社会地理学とか、環境地理学とか、一般的にはほかの学問のディシプリンと結びつく格好で生まれている。

みんなが輝く観光地論はこの点、いかにして位置付けができるか?

ひとまず「観光学」という学問の枠に入っているとする。

そして、これは経営学のようにどうやって観光を管理していくのかというものとも近い。

しかし同時に、どのような現象が人々にどのような影響を与えているのかを分析するという意味では社会学的な要素も強い。さらに、環境の負荷にもかかわることから環境学にも。


このような実践に応用するとこまでを見据えた新たな知識の創造をしていくことは、なにかの「やり方」についての学問的な研究という言い方もできなくはない。

どうすればうまくいくのか。これを学問として行うことは愚行なのか…


こうすればうまくいったという事例を集めることは確かに大切である。しかし、時代は常に変化している。

であるがゆえに、学問的な蓄積にのっとったうえで「提案」ができるようになるといい。それは政策的にも、ビジネスとしても、非営利活動に対しても。