とあるアデレードでの金曜日とインテンショナルコミュニティ

金曜日、私はある村へ招かれた。

村と言っても、アデレード市内の中心部に位置する。でも、それは小さな村のような共同体だった。

Christine walk community (クリスティウォーク)というエコビレッジアデレードの町の中心部にある。

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そのコミュニティは、サステイナビリティを中心とする信条を持って集まった人が共同で作っている、いわばサステイナブルな居住空間だ。

40人の0歳から91歳までの世代が住んでおり、ビレッジの中には野菜を育てる庭や屋上ガーデン、特殊な素材で作られた8棟の建物、居住者が集うコミュニティスペース、11台しか止められない駐場。

日本のマンションしか街中の大人数で集まって生活をするタイプの居住空間しか知らなかった自分にとって、このような場所を見せてもらい、話を聞くことで、とても新鮮な感覚を覚えた。

こういう特定の信条に基づいて、人が集まり、ある一定の規則に基づいて民主主義的に生活するコミュニティをインテンショナルコミュニティ(intentional community)というそうだ。

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影が正確な時間を示す↑

社会的、政治的、宗教的、又は精神的ビジョンを共有し、一般社会とは異なる独自の様式の生活を送る。

例えば、仏教の修行僧が住む居住空間もインテンショナルコミュニティだし、トビタテ留学ジャパンのとびたてハウスのようなシェアハウスもある意味インテンショナルコミュニティと言えるだろう。

昨年の春先に母方の福井にあるお寺を訪れたあと、永平寺というお寺に訪れたのを思い出した。曹洞宗という禅宗の一種のお寺で修行僧が日々の修行をしている生活空間を体験したことがある。

毎日の生活は、曹洞宗の教えを中心に回っており、みんながそれに同意して人々はまとまりをつくる。

それが訪れる人々の心に有り難さを感じさせる。

お坊さんの有難さは一人では構築していくことはできない。

ある集合体がそれを信じて、共通の感覚(common sense)を保持しているからこそ成り立っている。

つまり、曹洞宗で修行したお坊さんたちの集合体が人々を苦しみから救い、曹洞宗を信仰している人達に恩恵をもたらすということが共有されているため、今でも存続している。

これは、人が苦しみという、向き合いたくない感情を持ち、それを社会の中で仏教コミュニティという機能を持ってして解決していくことが要請されているからだろうか。

話を戻して、昨日訪れたエココミュニティのようなものが生まれていくのは、人の苦しみの対象が自分から、自然、あるいは、未来という対象にまで広がりを持っているからではないだろうか。

エココミュニティはそれを取り除いていくための集合体の形成なのではないか。

 

もともとあった興味が、インテンショナルコミュニティという言葉を通じてその概念を知り、実例を見ていくことで、今まで考えていたこととの結びつきがあったのでシェアしたい。

 

まず、前提として、インテンショナルコミュニティを、一種の表現技法として捉える。

人の信じたものをコミュニティという人の集合体を社会に対して表現していく一つの表現技法。

その意味において、音楽、アート、文章やダンスと変わらない。

それでもそれを集合体として行うことに社会に対しての大きなインパクトがあるはずなのだ。

一つ目としての興味がその表現を通じて社会に与える影響である。集合体しての表現を外部に発信をする。それは、観光というツールを通じて成される。この観光は間違いなく訪れた人のなにかを変えるきっかけとなる。

もう一方で、コミュニティの担い手に対しての影響である。

人は一人で大多数の人が共有していないストーリーを信じて、それを貫いていくことは、大変でしんどいことである。そして、大多数の人が信じているストーリーに明らかな違和感を個人として感じるとする。それが例えば、環境問題に対するシンパシーとか、自分であれば途上国の人に対するシンパシーである。

なので、2つ目のインテンショナルコミュニティの特性として興味を持ったのが、一人では社会の渦に巻き込まれて失われていく気持ちをコミュニティに巻き込まれることで貫いていける強さを与えてくれるということだ。人に人生を通じた表現する勇気をくれる。

自分は美術館に行くのが好きなのだが、それは、単純に人の表現を見ることで自分の中にある何かが湧き上がってきて、スッキリするからだ。

 

動物への虐待、途上国の貧困、震災復興、人権問題、等々様々なテーマで活動をしている。

これらに対して大多数の人が取る行動は寄付であったり、ボランティアであったり、自分の人生のお裾分けをするだけである。

なんで、こういうことをするのかの大きな理由は、そこにあるストーリーに共感するからだろう。

そこに関連するストーリーを見聞きし、それにシンパシーを感じることで、寄付やボランティアの行動に結びつく。

それだけではなく、そのような寄付をしたりする行為が自分自身の精神的な豊かさに結びついたりするという、ボランティア精神そのもの対するストーリーも存在する。

でも、なんで、自分の本業というか、日常の中心にあるものがそのような活動に向いていかないのか。

それも、自分の人生そのものをボランティア的な行動に結びつかせるストーリーをコミュニティの中で共有していないからだろう。

 

インテンショナルコミュニティを通じて、人生の大きなパラダイムを信じた方向に向けていけるようになるんじゃないのかなあ。

自分は間違いなく、今回のトリップを通じてめちゃくちゃ勇気付けられた。

それは、ある一人の自分と価値観のドンピシャな教授がいて、その人に紹介してもらった人に会いに行き、またそのコミュニティに触れることができたからだ。

インテンショナルコミュニティとは言わないけど、先生のネットワークに入れてもらえたということがさっきから書いているような志の共有に繋がり、信じる方向性へ向いていけるための勇気づけられた。